2011年10月22日土曜日

ヴィジョンの欠如



日本には
都市計画がないと言われて久しい。
全くその通りだが
しかし問題はさらに深刻で悲惨だ。
なにしろ
計画に先だって追求されるべき
ヴィジョンやコンセプト
つまり
どのようなことを人や社会にもたらすのか
そしてそのためには何を優先し
それをどのように実現していくのか
ということを考え
それを共有することを
大切なことだとする習慣が
この国には悲しいまでにないのだ。
そしてそのことが
日本という国や街の現実を
そして人々の日常を貧しくしている。
それはなにも
大きな都市計画や
復興のプランの策定のような
大きなテーマのためにあるのではない。
ヴィジョンの欠如は
私たちの日常の
いたるところに現れる。
たとえばこの写真。
これはとある街角の、といっても
銀座〜丁目という住所のある
花の銀座の街の一角の路地だが
おわかりだろうか。
ここには、路上に引かれた白い線と
とってつけたようなガードで仕切られた
「歩道」らしきものが一応ある。
しかし
ただでさえ狭い歩道の上には
路上駐車をさせて小銭を稼ぐための
公共のメーターが埋め込まれて
信号もない横断歩道の手前に
堂々と車が合法的に駐車している。
これさいわいとガードレールにつながれた
自転車も歩道上に置かれているが
これが違法か合法かなどはどうでもよい。
それよりはるかに問題なのは
歩く場所であるはずの歩道のド真ん中に
電信柱が埋め込まれており
その横には
いくつもの道路標識を掲げるための
鉄柱まで突っ立っているということだ。
これでいったい
どうやって歩けというのか???
これらはすべて
お上と、それに類するものが設置したものだ。
そこには
街とは何か、路地とは何か
歩道とは何か、人と社会とは何か
それらはどうあるべきかという観点が
致命的に欠落している。
ヴィジョンがないというような次元の
これははるかに、はるかに手前の
ただただ野蛮な愚行だが
しかしヴィジョンの欠如は実は
こうした日常の中にこそ
如実に具体的に表れる。
そしてその、お上の不始末の代償を
路を歩く人間が
そこで日々を過ごす人々が
遠回りをしたり電柱にぶつかったり
車にはねられたりして支払うのだ。
こんなものを設置した彼らは、しかし
もしかしたら言うかも知れない。
交通標識は安全のために付けました。
歩道も安全のためにつくりました。
電柱は必要なので立てました。
駐車メーターは違法駐車をなくすためです。
自転車は人手が足りないので
そこまでは取り締まれませんでした。
原発の問題も同じことだ。
私たちの国の空間は
国の形をデザインする法律も
街も路地も
市民の生活に安全と安心と
喜びある暮らしをもたらすためにあるはずの
国の仕組も制度も行政も
ようするに、私たちの空間の全体や細部が
なにもかも
ヴィジョンを無視した
あるいはそれが何かも分からないような
無謀、野蛮、傲慢、怠慢、権益、職分などなど
支離滅裂な事情でつくりだされたもので
あふれている。
わたしたちはもうすでに
近代を超えた新たな時代をつくるべき
21世紀を生きているのに。