2012年5月2日水曜日

アントニオ・ガデス Antonio Gades



photo by Ferran Freixa
カルロス・サウラの映画
『フラメンコ、フラメンコ』を観た。
世界の舞台の第一線で
活躍する若い才能が躍動し
とても面白く興味深かったが
ついアントニオ・ガデスのことを
思い出してしまった。
彼自身が発する
毅然とした優雅さと
舞台の時空を一つの世界にしてしまう
見事な構成力は
まさに天才の仕事だったが
かれがいなければ
フラメンコが今日のように
世界的なアートとして
確立されることはなかっただろう。
ここまで多様な広がりを持つことは
なかっただろう。
ただ
驚嘆すべきは
普段の彼が
何気ないしぐさをする時に見せる
一瞬の美しい輝きだ。
むかし
彼のマドリッドの家に
ロベルトとともに遊びに行った時
そのころ
ヨットに夢中になっていた彼は
地中海で最も美しいといわれている
イビサとフォルメンテーラ島の
間にある浅い海にまで
どうやって行き
どこに錨を下ろせばいいかを
まるで子どものように
熱心にロベルトに聞いていた。
私たちは
彼が大好きだという
タピエスの大きな絵が飾られた居間で
小さなガラスの机を囲んで
三人であぐらをかいて座っていたが
ふと私のビールが
無くなっているのに気付いた
アントニオは
「もっと飲むよね」と言うと
座ったそのままの姿勢から
すっくと
一瞬のうちに
まるで重力や筋肉というものが
存在しないかのように
立ち上がり
風が吹き抜けるように向うへ行った。
わたしはそのあまりの美しさに
ひっくり返りそうになった。
そのとき
天才というものは
日常のなにげない
一瞬のしぐさの中にこそ
如実に表れるものなのだなと
つくづく思った。
カストロと親しかったガデスは
カストロの誕生日には
お祝いと、彼自身の首の治療を兼ねて
キューバに行っていたが
長年過酷な舞台を続けた彼の首は
ほとんどボロボロになっていて
金属製の支えを入れなければ
支えられないほどだった。
なのにあんな舞台をと思えば
ますます敬服する他はなかったが
なにかの拍子にカストロの話になった時
ロベルトが
私のハバナ葉巻の
パッケージのことをかいた本
『ハバナ・エキゾチカ』の話をし
それを聞いたガデスは、今度は
カストロから貰ったという
美しい葉巻の箱を持ってきた
箱にはまだ封がされていたが
さっと封を切った彼は
綺麗に並んだ太い極上の葉巻の一本を
私にくれた。
お前の本を
彼からフィデルに渡してもらえよ。
とロベルトが言い。
ガデスも
それじゃあそれを二冊くれ。
一冊は自分に
そしてもう一冊は
俺が直接フィデルに手渡す
と言ってくれたのだが
そしてその後、本をガデスに
確かに渡しはしたのだが
しかし
その後それがどうなったかを
カストロの側に
今でもその本があるのかどうかを
アントニオに聞く機会も
いつのまにか
なくなってしまった。
考えてみれば
すべては一期一会
けれど
一瞬の美しさの記憶は
永遠に残る。
おそらく
私が地上から姿を消してもなお……。
花がふと風に揺れるように
誰かのふとしたしぐさの中に
眼差しのなかに
あるいはそれを見た誰かの指の動きに
もしかしたら姿を変えて……。
絶え間なく流れる時のなかで
ひとがそのつどそのつど
なにげない一瞬の美しさを
創りだせる不思議。
それが心に残る不思議。