2013年9月20日金曜日

アントニ・タピエス Antoni Tapies

          
           
20世紀後半のアートを
果敢に牽引し続けてきたアントニ・タピエスが
もう一つの世界に旅立ってしまってから
もう一年半が過ぎた。
生きるということとアートを同じことと捉え
ともすれば無意識のうちにも
常識や既成概念や権威に
とらわれてしまいがちな私たちの
その無意識そのもののありようを問い続け
問題提起をし続けてきた
タピエスがいなくなってしまったことは
寂しい。
むかしタピエスは
バルセロナ市から
カタルニア美術館に展示するための
モニュメントを依頼されたことがある。
市のお偉いさんたちが世界的な
アヴァンギャルド・アーティストであるタピエスに
何を期待したのかは知らないが
それに応えてタピエスが創ったのは
穴のあいた靴下の
巨大なモニュメントだった。
当局は、そんなものを
バルセロナ市が誇る美術館に
展示するわけにはいかないと言い
タピエスは
どうしていけないのかと反論した。
論争は場外乱闘の様相を呈し
賛否両論の意見が
毎日のように新聞紙上を賑わした。
私は彼の自宅で
その模型を見せてもらったが
見ればいかにもタピエスらしい
面白い形をした造形だったが
いかんせん
それが穴のあいた靴下であるところが
お偉いさんたちの気分を害したのだった。
実は靴下は
タピエスの作品には何度も登場していたが
今度はそれが立体で
しかも巨大であるところが
いかにも刺激的ではあった。
当のタピエスにとっては
靴下というのはあまり人目につかないけれども
実はたいへん人の役に立っているばかりか
黙って人間の足の下敷きになりながら
買い物であろうが戦場であろうが
いっしょについて行って
その人の体重をひたすら支えて
その人の苦労や希望を含めた
生活と記憶を共有している
そういう存在であって
その靴下が
穴があくまで働いてくれたのであれば
世界中で一ケ所くらい大々的に
その働きに日の目を当てる場所があったとして
そのどこがいけないのか
靴下は歩く動物である人間の
いわば分身のようなものじゃないか
というようなことを
一生懸命語る彼の顔が忘れられない。
カタルニア美術館は
ロマネスク絵画を擁する世界的な美術館だが
ロマネスク美術というのは
あるいみでは
権威に凝り固まったキリスト教を人間的に捉えた
そういうアートじゃないか。
だからこそ私は
私たちの愛するカタルニア美術館に
最も相応しいものとして
何としてもこのモニュメントを飾るんだ。
なのに
穴のあいた靴下だからいけないというのは
まったく話にならないというわけだ。
アートの世界的な大家になり
歳をとってもなお意気軒高で
枯れるとか、事情に合わせるとか
自粛などという概念の対極にあるタピエスを
私はそのとき
実に頼もしくも可愛く感じた。
たしかによく見れば
そのモニュメントは
なかなか面白い形をしていた。
幼い頃、病気がちだったタピエスは
歳をとるにつれて元気になり
創る作品もどんどん過激になって行ったが
彼にしてみればそれは
何も奇をてらったわけでも
論争をふっかけようと思ったわけでもなく
物事の本質を
うわべをどんどん取り除いていくことで
真摯に見つめたいからで
それによって成長して行ったからにほかならない
タピエスは全てのことに
実に真面目に本気で取り組んでいた。
また彼の自宅には
古今東西の本がたくさんあり
時代や場所による文化の違いや
表現という行為やその受け取られ方の不思議さを
いつも真剣に考えていた。
私が、日本の浮世絵が
ヨーロッパのアーチストに与えた影響や
それがめぐりめぐってまた
日本に影響を与えた話をしたとき
そうした感動のやり取りこそ
私が最も興味を持っていることなんだ
と目を輝かせて言い
今度いっしょにそのテーマで
面白い展覧会をやろうよ
と二人で大いに盛り上がった。
しかし
根っからの無精者の私は
必ずしもそのことを忘れたわけではなかったが
いつかそのうちにと思いつつ
それに具体的に手を付けることのないまま
いつのまにか月日が過ぎて
そして、そうこうするうちにタピエスは
遠いところに行ってしまった。
タピエスの才能を見いだして仲間に入れ
彼が世界的になるきっかけをつくった
私の敬愛するゴミスさんは
大人とこども、アートと工芸
有名と無名などの間に全く境を設けずに
実にニュートラルに物事を見つめ
思いがけないものに美を見いだす名人だったが
それと同じような感性と知性と勇気
そしてそれを表現する術を
タピエスも持っていた。
今年の春にバルセロナの
フンダシオン・タピエス(タピエス美術館)を訪れた時
なんと
「反タピエス派のアーチストたち」
という展覧会が開かれていた。
それを見た私は
死後もなお、タピエスらしさが
ちゃんと受け継がれていることが
何となく嬉しかった。
おそらく天国でもタピエスは
誰も思い付かないような作品を創って
神様たちを
困惑させているにちがいない。
アントニ・タピエスの
もうひとつの世界での健闘を祈る!
大切な何かが
人と人との触れ合いをとおして
受け継がれて行く不思議
たった一つの作品が
内と外とをつなぐ扉のように
向こう側とこちら側を
一瞬にしてつないでしまう不思議
もし人に
アートを求める心がなければ
この地球上で
人が生きのびるべき
理由はない。