2009年12月8日火曜日

ジョアキン・ゴメス Joaquim Gomis

1902年に生まれ1991年に亡くなった
写真家のジョアキン・ゴメス氏の孫のジェラルドから
先日メールが来た。
ゴメス氏の娘が亡くなったという知らせだった。
ゴメス氏は20世紀のバルセロナの
文化芸術ムーヴメントに多大な貢献をした偉大な人物だ。
ミロ・ファウンデーション(通称ミロ美術館)の
初代館長でもあったが
親友のミロとは彼が有名になる前からのつきあいであり
マーグ画廊を創ったマーグとともに
彼を世界的なアーティストにするための
最も優れた後ろ盾となった。
何冊ものガウディの写真集をつくって
ガウディを世界に知らしめたのはゴメス氏であり
画家のアントニ・タピエスも
ゴメス氏が創設した「現代美術友の会」という意味の
今や伝説的な歴史的芸術家グループ
ADLANから認められ、その一員となることで
世界的な画家としての道を歩き始めた。
ゴメス氏は写真家であり指導者であると同時に実業家でもあり
バルセロナで3本の指に入るほど裕福な家の出身だったが
スノッブなところは微塵もなく
優れたアーティストやアートのためなら
素知らぬ顔で私財を投じる心意気の持ち主だった。
今はグエル公園の記念館に納められているガウディの家具も
むかしオークションに出されて米国に流失しそうになったのを
ガウディの作品がバルセロナから無くなることを憂えた彼が
オークションで競り落とし、それを寄付したものだ。
私はゴメス氏とは、たまたまイビサの画廊で知りあったが
それ以来、彼がどういう人物かも知らないまま親しくなり
まるで自分の孫のように、彼が亡くなるまで
晩年の彼の最も親しい友人の詩人として遇してくれ
家族同然のつきあいをさせてもらった。
一緒に何冊もの本をつくったが
バルセロナの高台にある彼の家の
趣味の良いアートや調度品のあるサロンでくつろいだり
たくさんの本や写真がきちんと整理されて収められた書斎で
一緒に冗談を言い合いながら写真を選んだり
ミロからプレゼントされた壁一面のミロの絵のある食堂で
料理のとても上手な夫人の料理を食べたりした至福の時間を想うと
ジェントルマンのジョアキンの優しい顔が目に浮かび
懐かしさが込み上げてくる。
私はあの食堂をバルセロナ最高のレストランと呼んでいた。
美に対しては全くニュートラルで新鮮な感覚の持ち主で
いつもカメラを持ち歩いて
街のお店の、ちょっと面白い表情した人形や
雨と埃が抽象絵画のような模様を描いている壁などを見つけると
まるで子供のように喜び、あるいは感心して写真に収めた。
美しいものを見つけ出す感覚と
いったん良いと思ったらどこまでもその確信を貫く姿勢は
全くの自然体でありながら毅然としていて
彼の前では権威も権力も社会的事情も全く意味を成さなかった。
年をとって一番哀しいことは
美や喜びを共有した仲間が一人、また一人と
亡くなっていってしまうことだと言っていたのを
このところよく思い出す。
人と人とが知り合えることの不思議
場所を超えて世代を超えて
価値や美意識を共有できることの不思議
そんな不思議さの向こうにあるのは
もしかしたら
人が人であることの喜び