2010年4月7日水曜日

ゴヤ Francisco de Goya

スペイン絵画史の巨人であるゴヤ(1746〜1828)は
版画というマスプリントメディアにおいても
画期的な仕事を残したアーティストだ。
当時はもちろん今日でもなお
版画は油絵などにくらべれて価値が劣るものとされがちだが
ゴヤは、その版画という表現とその可能性に
真っ向からとりくんだ偉大な表現者だ。
一般的に版画の評価が低いもっとも大きな理由は
油絵などの作品が一点ものであるのに対して
版画は一つの原版から複数の作品が産まれ得ることだが
しかしこれは、実は作品の善し悪しとは何の関係もなく
もちろん表現上の優劣の基準にもなりえない。
極めて大ざっぱに言えば
一つの油絵を欲しい人が二人いれば
当然のことながら絵の値段は一人しかいない時よりも高くなる。
三人、四人、さらに百人がその絵を求めて競えば
価格は自ずとつり上がる。
だが版画は本質的に、もし刷ろうと思えば刷れなくはないために
なんとなく商品価値が低いとみられがちであり
そうした経済社会における市場原理や
人間の持つ所有欲などがないまぜになって
要するに絵画のマーケットという事情のなかで
版画が油絵より一般的に軽んじられているというに過ぎない。
しかし表現、あるいはアートが
人間にとって何なのかということを考える時
それとはまったく別のことが見えてくる。
アートの大きな役割の一つは
一つのリアリティともう一つのリアリティをつなぐことにあり
作家は自分が感じる確かさはもっと多くの人々と
共有されて良いはずだという思いを抱きながら作品を創る。
その意味では、複数芸術である版画は
一点物の作品より作家の抱く価値観や美意識が
より多くの人の目に触れやすい特質を持っている。
長いあいだの下積みの末に
苦労して宮廷画家にまで上りつめたゴヤが
版画という表現に熱中した理由もそこにある。
ゴヤのきわめてラジカルな先進性は
ナポレオンのスペイン侵攻による政変という急激な変化の中で
それまで強固なものだったはずの
宮廷画家にとってたった一人のパトロンである
王という存在やその基盤そのものが揺らぐなかで
複数のパトロン、あるいは大衆という
時代の大きな流れの中で新たに登場し始めたマス的な存在を
明確にクライアントとして想定した点にある。
しかもゴヤは
イマジネーティヴな存在である私たち人間が
現実的な世界と同時に
イメージ的な、あるいは空想的な世界を生きていて
人間社会はそれらが重なりあったところで成立しているけれども
それは一見とても強固に見えながら
お金にせよ地位にせよ何にせよ
しょせん人間が創ったかりそめの約束の上に成り立っていて
実はきわめてあやふやなものだということを看破し
それを自らの版画表現のテーマにして展開した。
まさにそのことにおいて
ゴヤは近代という複雑な時代と
その問題点を予見した類いまれな表現者だった。
ほんの少し見方を変えただけで
一変してしまう世界。
あたりまえのようにあるルールの一つを
疑ってみるだけでたちまち揺らいでしまう
社会的な仕組み、あるいは権力。
そんな私たちの価値観や美意識を支える仕組の不思議。
それでも成り立っているようにみえる社会の不思議。